2011.4.6
最近の1冊 「すきやばし次郎 鮨を語る」(宇佐見伸、文春新書)

 震災の深い悲しみが心に張り付いて離れないが、それでも芽の吹く木々を見ると春の息吹が感じられ、多少なりとも心を潤わせ、癒してくれる。
 「すきやばし次郎」はご存じのとおり、ミシュラン3つ星に輝く鮨店である。本書は、文字どおり鮨を語っている部分はあるものの、むしろ「次郎」の主である小野二郎の聞き書きによる一代記である。
 7歳で地元の料理屋に奉公に出され、小学校3年生で包丁を持たされ、卒業するころにはひととおり包丁が使えるようになったという貧しい幼少時代から、軍需工場への徴用そして徴兵。敗戦後は浜松の料理屋を経て、昭和26年、京橋の「与志乃」に移り、いよいよ鮨の修行に入る。その間一時請われて大阪の鮨屋に移り、東京に戻ったところで現在の店の前身である「与志乃」の支店を任される。これが昭和35年。そして、昭和40年、「与志乃」が京橋に引き上げたのを契機に、そこに「すきやばし次郎」を開店することになる。聞き書きとはいえその間の小野二郎の歴史が詳細に語られている。もちろん鮨と魚の含蓄の披露を含めて。
 ほとんど休みなく働いていたという人生体験は端からみれば壮絶だが、本人の語りからはそれを感じさせないし、実際本人にそういう認識はないようだ。何事にも一芸秀でるということはすごいことだが、その中にある種哲学を見るのは私だけではなかろう。そういう意味で分野は違うとはいえ、学ぶところは多い。
 「すきやばし次郎」については、料理評論家の間でもその評価に違いがある。私もにぎり20貫で3万円という値段を聞いて、これまで批判者側に立っていたが、本書を読んでかなり見方を変えた。
 本書とあわせて「すきやばし次郎 旬を握る」(里見真三、文春文庫)を読むと次郎の鮨の神髄が理解できる。これは写真により小野二郎ワールドの全貌が表現されている貴重な本でもある。
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