2011.4.26
最近の1冊 「公安を敗北させた男-国松長官狙撃事件」(小野義雄、産経新聞出版)

 「私が国松長官を撃った。」とのオウム信者であったK巡査部長の供述により、事件は解決に向かうのかと思われたが、平成22年3月30日、公訴時効が成立した。
 平成7年3月30日早朝に起きた国松警察庁長官狙撃事件は、大胆不敵な犯行で、犯人逮捕はそう遠くないと思われた。しかしその後延べ37万人の捜査員が投入されたにもかかわらず、K巡査部長の供述に翻弄されたまま、捜査は進展しなかった。K巡査部長は時効成立までに幾度か逮捕されたがいずれも立件に至っていない。当時公安警察の大失態などともいわれたが、一体捜査の混乱をもたらした原因は何であったのか。
 著者はこの狙撃事件におけるK巡査部長の役割をこれまでの捜査資料から分析し、結論として、狙撃の実行犯はK巡査部長ではなくオウム信者の端本悟、K巡査部長は捜査攪乱のための補助役であったと断定する。この構図は、平成16年7月にK巡査部長を含めた4人逮捕の強制捜査をしたときのものと同じだという。このとき捜査本部は、首謀者・麻原彰光、事件指揮・早川紀代秀、実行犯・端本悟、事件の防衛役・K巡査部長という構図のもとで、事件のけじめを付けようとしていた。この逮捕までに、K巡査部長は、自分が撃ったのではなかった、事件前に犯行時狙撃犯が着用していたと思われるK巡査部長のコートを端本のような人に貸したと供述し、そのコートから拳銃発射の残渣物が検出され、その残渣物が現場の壁に付着した残渣物と一致したことから、捜査本部はこの物証をもとに一気に事件の解決を図ろうとしたものだった。しかし、ここでもK巡査部長の、再び「自分が撃った」との供述により、事件は振り出しに戻ってしまったという。   
 しかし著者は、狙撃犯の様々な条件に当てはまるのは端本悟しか存在しないという。K巡査部長が、一番最初に、現場には行ったが狙撃はしていない、あくまで逃走を助ける役目であり、捜査がオウムに及んだときに捜査を攪乱することが仕事だと教えられ、それを実行した、という供述がもっとも自然だとの分析からである。それを支えるのは、各証拠に加えて、K巡査部長の思想と性格だという。K巡査部長には長官を撃つという「宗教的信念」も「思想的狂信性」も感じられない。それは彼の供述から明らかだという。グルの逮捕を嘆いても、アクションは起こさない。取り調べにおいても取調官に迎合し、時にはふてくされ、時には頑なに黙り込む。ごく普通の人間で、彼には補助役はできてもテロルの主犯にはなれない、との著者の確信だ。果たしてそう断言できるのか。
 ちなみに実行犯と断定した端本悟は昭和42年3月生まれで、当時27歳。大学3年次にオウムの魂の救済の教義に惹かれて入信し、麻原を父親のように慕い、早川を誰よりも尊敬していたという。端本は松本サリン事件の実行犯としてすでに死刑判決が確定している。
 紆余曲折を辿りつつも証拠が積み重ねられ、ようやく犯人の特定ができるまでになっても迷宮入りになる。K巡査部長の供述の変遷だけが原因とは思われないが、刑事事件の真相究明の困難さを物語る1例ではある。しかしここでも警察と検察の確執が真相究明のひとつの足かせになったとの現実は見過ごしてはならないだろう。
                                                                                             以上(M)